幼稚園から大学卒業までのエピソード

堀が5歳の時の話である。近所の家の庭にあった枇杷の実を幼稚園の友達3人と盗んで食べた。
その晩、母親に「泰典、お母ちゃんに言うことないか?」と聞かれ、「ないよ」と答えると、「枇杷のおいしい季節やなぁ~、何か言うことないか?」と再び問われ、枇杷の実を盗んで食べたことを母に告白した。すると一緒に謝りに行こうと夜道を枇杷の家に向かって歩き出した。その時、「僕が一度ごめんなさいと言ったら、母ちゃんはごめんな、ごめんな、ごめんなと三度、あやまってな」と母にいうと、母が「泰典のためやったら地べたに頭埋めるまで謝るでな」といってくれた。
帰り道、夜空の真ん中に浮かんでいたまん丸いお月様を見ながら母は「どんな人生でもいけど、お月様をまっすぐに見られない様な人生だけは歩まんといてな」と言った。
この時の記憶が「堀の人生の根本を決めていたように思う」と述べている。

また、小学生時代から不真面目で忘れ物は群を抜いて多かった。協調性がなく、授業中着席していることができずに動き回ったり、落ち着きもなく先生から一日に何度も注意を受けたりしていた。今でいう、注意欠陥・多動性障害(ADHD)の代表で、小学校、中学校と友達は元より話す相手も誰もいない孤独な小中学校時代であった。
高校になり少数の友人が出来たが、鞄には弁当箱のみで通学し教科書は学校の机の中に置きっぱなしであった。
大学時代は主に要領とカンニングで卒業した。

転機が訪れたのは大学卒業後に口腔病理学教室に残った時である。当時の主任教授である寺崎太郎先生から「堀君、実力とは何ぞや!!」と1か月ほど問われ続け、「勉強して培うものだと思います。」と答えると、「それでは、いつまでたっても君は三流だ!!」といわれてしまった。
それから半年余りが過ぎた10月に、また同じ質問をされた。心の中で「参ったなと」と思い答えられずにいると、教授が「実力とは人がちょっとやそっとでは真似できないものを持って実力という。ノーベル賞、ウルフ賞、なでもいいが、他人に感謝される技術や学問を考えることだ。」と言われた。今まで人生をさぼって生きてきた堀に「生きる目標ができた」瞬間であった。
それから現在に至るまで惜しまず努力し続けている。と語っている。